耳をすます女性

競技かるたをしていて、聞き分けが必要とされることがありますよね。

 

競技かるたでは決まり字が途中まで一緒な札が多いため、最後の文字を聞き分ける力が必要とされるのです。

 

ですが、本当に聞き分けの能力って必要でしょうか?というより、私は意識したことがないので不要じゃないか、とまで思うわけです。

 

そんなわけで今回は、聞き分け能力不要論について考察していきます。

 

もちろん、私にとっては不要というだけで、かるたのスタイルによっては必須なこともあるかもしれませんが、その辺は一人一人で考えてみてくださいね。

 

 

耳をすます女性

 

 

聞き分けとは何か

まず、聞き分けとは何かについてですが、簡単に言えば決まり字の最後の文字を意識すること、だと思います。

 

たとえば、「あきの」と「あきか」だったら最後の文字が「の」と「か」によって取るべき行動が変わってきますよね。

 

場に「あきの」しかない場合で考えると、3音目が「の」だったら札を取り、「か」だったらよける、みたいな行動が求められるわけです。

 

もっとすごい人ですと、「さ」「す」「せ」をS音で反応して「a」「u」「e」を聞き分けるみたいな使い方もするらしいです。時間にして0.2秒ぐらいの判断することになります。

 

この聞き分けですが、よくお手付きの原因として挙げられます。最後の文字の聞き分けがうまくいかなかったから、お手付きをしてしまった、という理論ですね。

 

「す」で「せ」を払ってしまう、といったS音のお手付きもこれで説明されることが多いです。

 

ですが、本当にそのお手付きって聞き分けの問題なのでしょうか?

 

聞き分け不要論

というわけで、ここから聞き分け不要論を展開していきますね。

 

聞き分けの重要さはお手付きの有無にあるので、聞き分け不要論では主にお手付きと聞き分け能力に関係ないことが主論になります。

 

聞き分けを意識している限りお手付きは減らない

お手付きの原因にもいろいろあるのですが、一番多いのはやはり共札のお手付きだと思います。

 

そういう事情もあってかお手付きをするのは、決まり字の最後の文字をしっかり聞き分けられなかったからだ、だからお手付きをどうにかするには聞き分けをしなければならない、とこうなるわけですね。

 

ですが、この聞き分けに原因を置いている限りお手付きは減らないと思います。

 

なぜかというと、決まり字の最後を聞き分けるというのは、どうしてもギリギリを攻めた作戦になるため安定性を欠くからです。仮に成功させようとすると、無駄な集中力をそこに割く必要が出てきます。

 

そうなると、気が緩んだ瞬間にどうしてもお手付きをしてしまいます。

 

そんなギリギリなところで戦う必要は全くなく、素直に聞こえてからとればよいのです。

 

聞こえてからとる方法は、今回の趣旨から外れるのでいったん置いておいて、ここで大事なことは以下の通りです。

 

聞き分けを意識すると常に気を張っていなければならない→100枚すべてに気を張るのは集中力が持たない→どこかで気が緩んでお手付きをする

 

この流れを止めることはどうしてもできないんじゃないかな、と思います。

 

お手付きの原因は聞き分け以外にある

じゃあ、お手付きの原因は何か、というと焦りや気のゆるみといったメンタル面に問題があるのではないかと思います。もちろん、他にも考えられるとは思いますが。

 

聞き分けを原因にしたくなるお手付きというのは、ほとんどが決まり字を自分の中で確定させないまま払う、というものだと思います。

 

なぜそうなるのかというと、焦りや気のゆるみから、脳が細かいところを無視し始めるからです。

 

なのでお手付きを減らしたかったら聞き分けなどに集中力を使うのではなく、できるだけ無駄な力を使わないことのほうが大事になります。

 

言い換えれば、今よりも早さを求める人はお手付きを恐れず早くとることで、聞き分けを意識することなく早くとれるような方向を目指すほうがいいかと思います。

 

5字以上は聞き分けが必要な場合もある?

皆さんがどのような意味で聞き分けという言葉を使っているのかわかりませんが、5字以上の長い札は「聞き分け」という言葉を使ってもいいのではないか、と思うこともあります。

 

というのも、決まり字が長くなると囲うことが多くなります。囲ったときは最後の1文字で抑えたり囲いを破ったりする必要が出てきます。なので、ほかの短い決まり字よりも、最後の一文字に集中する必要性が増えてしまうわけです。

 

なので、最後の文字に集中するという意味で聞き分けが必要、という風に表現できるといえないこともありません。

 

しかし、ここで聞き分けという言葉を使うと、最後の文字を集中して聞くというよりも、ギリギリのとこで判断するというニュアンスになってしまいそうなので、個人的にはここにも聞き分けという言葉は使いたくないですね。

 

あくまで大事なのは、変に集中しすぎることなく、最後の1文字をしっかり聞くことなので、そこに耳のよさを自慢したいがための聞き分け能力みたいなのは、全く不要なのです。

 

おわりに

というわけで、聞き分け不要論をここまで紹介してみました。

 

A級の優勝狙いとかタイトル狙うレベルになってくると、もしかしたらこの能力が必要になってくるのかもしれませんが、そこまでのレベルに達していない人は聞き分けなんて意識する必要ないと思います。

 

それよりも、なんとなく札に触ってしまったときのメンタルを自分なりに分析して、そのメンタルに陥らないためには試合をどのように展開し、組み立てていけばいいのか、ということを考えたほうがお手付きは減ると思います。

 

感じについても私は否定的なのですが、どうも耳の良さがうんぬんかんぬん、といった論議が好きになれないのですよね…

 

再現性がないというか、普遍的ではないというか。

 

そんな思いがこもった感じについて書いた記事もありますので、よければこちらもご覧ください。

 

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