
競技かるたをしていて直面する問題の一つに、「もめ」というものがあります。
競技かるたは基本審判がつかないので、どっちの取りかで判断が分かれたときは、競技者同士が話し合ってどちらの取りかを決める必要があります。
一見これは競技かるたの競技としての不十分さを表しているように見えますが、実は私たちを人間的に成長させてくれる、いい制度なんじゃないか、と個人的には思っています。
そこで今回は、一見競技かるたのネックに見えるもめが、私たちに授けてくれる素晴らしい教えをご紹介していきます。
目次
自分が見ている世界と他人が見ている世界の違い
最初の教えは、自分と相手の見えている世界の違いについてです。
当然ですが、私たちは自分の五感で感じたことでしか、世界を認識できません。
客観的には同じものを見ているようでも、実際に一人一人が見ているものは全く異なるのです。
これがもめの原因、ひいては人間同士で起こる争いのすべての原因、といっても過言ではないかもしれません。
競技かるたはただでさえ一瞬の早さを競うのですから、自分が見えている世界と相手が見えている世界に、齟齬が生じるのも当然と言えるでしょう。
そうであるならば、あとはお互いがどれだけ相手の見えている世界を理解しようとするか、という問題になってきます。
相手の世界とどう向き合うか
このときおすすめの向き合い方は、相手の理解を期待しないで、自分は理解に努める、という向き合い方です。
相手は相手で自分の世界がすべてだと、本物だと信じて疑わないのが普通です。その感覚は自分がもめているときを想像すれば理解できるでしょうか。
ですので、相手がこちらの意見を理解できなくても仕方がないのです。
しかし、こちらは相手の主張を理解します。自分が自分の世界を正しいと思うように、相手が見えている世界だと相手の主張も正しく見えるかもしれない。そういう心持ちで相手の話を聞くのです。
もちろん、相手が理解してくれる可能性もあるので、こちらが見えた世界の話もしますが、伝わればラッキー程度の気持ちです。
相手を理解するのが自分にとって得な理由
そんなことをしたら、こちらだけが一方的に不利な感じがしますか?
短期的に見ればそうでしょうね。ですが、長期的に見ればめちゃくちゃ得しています。
まず、相手を理解しようとする気持ちは相手にも伝わります。そして、人間には返報性という、相手に何かをしてもらったら何かをしてあげたくなる、という心理があるので、次にもめたときに、自分の意見を受け入れてもらいやすくなります。
もめるまではいかなくても、微妙な取りでの送りを素直に受け取ってもらえる、といったこともあり得ます。
また、納得した上での引きは、それ以降の試合展開にも大きく作用します。競技かるたの試合では、暗記に脳のメモリーを使いたいので、もめなんかに使っている暇は正直ないんですね。
自分の見えている世界しか信じられない盲目な人とやりあうのは、無駄な体力の消耗を招きます。もちろん、自分の見えている世界しか信じられない人は、もめの場面が増えるため当然疲弊します。
そうならないためにも、相手の理解に期待しないで相手の理解に努める、という向き合い方がベストじゃないか、と個人的には思うわけです。
事実よりも受け止め方が大切
もう一つの教えが、事実よりも受け止め方が重要、という教えです。
たとえば、札をどっちが取ったか、ということについて、真実は一つしかありませんよね。同時だと自陣の取り、という規程がある以上絶対どっちかに決まるはずです。
つまり、もめが発生しているということは、どちらかの事実が間違っているということになります。
しかし、もめで求められていることは、正確には事実ではないんですね。じゃあ何かというと、双方の納得なんです。
事実が重要でない例
代表的なのが大会での役員による判断ですね。最初から審判がついているときならまだしも、大会などでもめの仲裁に役員がくるときは、当然取った時の状況など見ていません。そんな役員の判断が必ずしも事実を言い当てられているとは到底思えません。
しかし、なぜそこで決着がつくかというと、当人同士が不本意かもしれませんが納得したからです。納得せざるをいけない状況とも言えますが。
少なくともそこに事実だから、という要素はまったく入ってきません。役員に話を聞くのも納得するための手段を外部に求めているからにすぎません。
それなら、納得できるよう自分たちで判断するほうがスマートだし、ついでに言うと事実にもより近いと思うんですがね。そういう意味で、うちの大会審判長の仲裁スタンスは個人的に大賛成です。
受け止め方が重要な理由
じゃあ、納得するためにはどうすればいいかというと、実は簡単で受け止め方を変えるだけでいいんです。
そもそも現実は受け止め方次第でいくらでも変化します。
たとえば、同じ5枚差で負けている状況でも、10枚差をまくられての5枚差で負けている状況と、15枚差で負けていたのを5枚差負けまで追いついた状況とではどうしても話が違ってきますよね。
でも現実は一緒です。じゃあ何が違うのかというと、現実に対する受け止め方ですね。
もめも同様で、もめが発生している時点で事実はかなり曖昧です。なので事実を探すのではなく、相手の主張も事実の可能性もあるかなーぐらいの受け止め方ができれば、納得もしやすくなるのではないかと思います。
おわりに
今回は、ある意味もめという制度の美点を紹介した記事になります。今回紹介した2つの教えというのは、われわれが人生を生き抜く中でもきっと役に立ちます。
もめについてはネガティブなものとして捉えられがちですが、だからこそ多く学べることがあると思います。
競技かるたに限ったことではないですが、何かを究めるということで、人生における大事な何かを掴むことができますので、今回の記事をそのきっかけとしてもらえれば幸いです。
こんにちは。
初めてコメントさせて頂きます。
自分は大会でもめるのが多く(相手からの時も自分からの時もあります)、結局すごく疲弊してしまうのですが、こちらの記事を拝見して、自分が『自分の見えている世界しか信じられない盲目な人』の方なんだと思いました。
試合に勝ってもモメた試合はすごく精神的に疲れて、どうしたらモメないでいれるのだろうと考え、相手より早く取ろうと考えてお手が増えたりと全然解決しないままでした。でも結局、自分の意見しか信じてないのでだめなんだと思いました。
これからは相手の意見を理解する事に努める様に意識してもめる事自体を無くして行きたいと思いました。
大会に出るのが嫌になる程もめるのが嫌なのに必ずと言って良い程モメるのは自分が原因だと 見つめ直すきっかけを頂きました。
本当にありがとうございました。
初めまして!コメントありがとうございます!
わわわ、嬉しいお言葉ありがとうございます!記事が参考になったようでよかったです!
試合中はつい熱くなっちゃうので、余計視野が狭くなりがちですよね。
自分はこう見えたけどあなたはどう? という姿勢でもめに入るとどっちの取りになっても引きずることはないので、今後ぜひ試してみてください!