
今回解説する和歌はこちら!
秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつつ
大化の改新で有名な天智天皇の和歌です。
百人一首の1番歌ということで、百人一首の中でもメジャーな和歌ですが、実は驚くべき秘密が隠されていました。
実は、作者が別人の可能性があるというのです。
1番歌から驚きの事実を見せてくれる百人一首。
そのトップバッターを務めるこの和歌は、いったいどういった意味を持っているのでしょうか?
目次
和歌の意味
秋の田に作った簡単な小屋の苫(とま)が荒いので、私の袖は露で濡れていることだよ
農民の辛さや苦悩をストレートに伝えず、情緒たっぷりに表現した名作です。
「苫」というのは一応現代語で、植物で編んだ、「こも」のようなもので、雨風をしのぐために利用するものらしいです。
じゃあ、「こも」って何かというと、荒く織ったむしろのことらしいです。
じゃあ、「むしろ」って何かというと、植物を編んで作った敷物のことらしいです。
まとめると、「苫」というのは、植物で荒く編んだ敷物のようなもので、雨風をしのぐために利用するもの、です。だから、網目が荒くて袖が露で濡れてしまうのですね。
ことばの解説
続いてはことばの解説です。
かりほ(仮庵)
「仮庵」は、読んで字のごとく「仮の庵」です。「庵(いおり)」という言葉は現代でもお店の名前などに使われていますが、古文では「庵(いほ)」といい、植物で作った簡単で粗末な家のことを指していました。
農作業のために農民が仮に作った粗末な小屋、というイメージです。
この「かりほ」は「かりいほ」という言葉を短縮した言葉になっていますので、読むときは「かりお」と読みます。
衣手
衣手というのは、現代で言う袖のことです。
しかし、古文にも袖という言葉は頻繁に出てきます。では、衣手と袖の違いは一体なんなのでしょう?
簡単に整理するなら以下の通りになります。
衣手…腕全体を覆っている部分。現代でいうところの袖。
袖…外手(そで)が由来で、手先より先に垂らした部分のこと。衣手の一部で、現代で言うところの袖口。
また、衣手は袖の歌語であるという考えもあるようです。
百人一首には、他にも衣手を使った和歌があります。
君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ
文法解説
続いて、この和歌に登場する重要な文法のポイントを3つ紹介します。
ポイント1.かりほ
ことばの解説でも登場しました「かりほ」ですが、この言葉には2つの意味が込められているという説があります。
1つは「刈り穂」、もう1つは「仮庵」です。
このように、1つのことばで2つの意味を表す和歌の技法を「掛詞(かけことば)」といいます。
この掛詞を使った和歌は百人一首にも多くとられており、たとえば以下のような和歌で掛詞が使われています。
わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
ポイント2.苫を荒み
ポイントの2つ目は、「…を~み」という表現についてです。
こちらも和歌によくみられる用法ですね。
訳し方としては、「…が~なので」という風になります。ちなみに、~の部分には形容詞の語幹が入ります。
今回だと、苫を荒みなので「苫が荒いので」という訳になります。
他に百人一首で「…を~み」という文法を使っている和歌は以下の2つです。
風をいたみ岩打つ波のおのれのみくだけてものを思ふころかな
瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ
ポイント3.濡れつつ
ポイントの3つめは助詞の「…つつ」です。
「つつ」には継続、反復の意味があり、現代語にすると「~し続けて、繰り返し~して」となります。
本来は文の途中で使われる言葉なのですが、和歌だと文末で使われることがよくあります。
このような使い方をすることで、後に何か言葉が続くことをイメージさせ、和歌全体に余韻を与える効果を与えます。
そのため、和歌で文末に「つつ」が使われる場合は、「~であることよ」という詠嘆の意味に訳されることが多いです。
他に、文末に「つつ」が使われている和歌には以下のようなものがあります。
君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ
作者
作者は天智天皇です。
歌人としてよりは、大化の改新を行った歴史上の偉人としてのイメージが強いですね。
それもそのはずで、天智天皇は正直一流歌人とはいいがたいんです。
というのも、天智天皇の和歌で、勅撰和歌集に選ばれているのはわずか4首。そのうち1首がこの和歌なのですが、なんとこの和歌、作者は天智天皇じゃないという説が有力なのです(詳しくは後述)。
百人一首は、天智天皇のような歌人としてはマイナーな人の和歌が他にも収録されていることから、単純に優れた和歌を集めただけの歌集ではない、ということが言われています。
鑑賞ー作者は別人だった!?
天智天皇の代表作として知られているこの和歌ですが、実は天智天皇の作品ではないのではないか、という説がかなり有力です。
この和歌は『後撰集』という平安時代の勅撰和歌集からとられているのですが、元となる歌が万葉集に収められているとされています。
それが「秋田刈る 仮いおを作り 我が居れば 衣手寒く 露ぞ置きにける」というものです。
意味はほとんど同じですが直訳すると、「秋の田を刈る仮の小屋を作りそこに私がいるから、袖は寒く露も降ってきてしまったのだな」となります。
この「秋田刈る」の和歌ですが、作者は不詳となっています。和歌の内容的にも一農民が詠んだ歌が伝承され、万葉集に載るまでになったとみるのが妥当です。
そんな農民の苦悩を歌った和歌が時代を下るにつれて形を変え、ついには農民の気持ちを思いやれる偉大な天皇の歌、として認知されるようになったのが、この「秋の田」の歌なのです。
このような成立の背景を考えると、単純な秀歌というよりはきわめて政治的な和歌であると評することができます。
また、そんな政治的な和歌を1番初めに配置している百人一首も、どこか政治的な歌集であるということができそうですね。
競技かるたにおける「あきの」
ここからは、競技かるたの視点からこの和歌を解説します。
この和歌の決まり字は「あきの」となります。
決まり字が「あきの」ということは、「あき」から始まる和歌がもう1首あることになります。
その和歌がこちら。
上記の和歌の決まり字は「あきか」となります。
このように、決まり字が3文字以上の札で、途中まで文字が同じ札のペアを、競技かるたでは「とも札」といいます。
百人一首には「あ」から始まる歌が多く、その数なんと16枚。
次に多い、「な」から始まる歌でも8枚しかないので、その数の多さは歴然です。
また、「あきの」は取り札である下の句が、先ほどから紹介している「きみがためは」の札と非常に似ているのも特徴の一つです。
競技かるたを始めたばかりの選手は、こういった札を見分けるのに苦労しますが、慣れてくるとこれらの札は全く別物に見えてきます。
ちなみに私は、真ん中の「つゆ」と「ゆき」の文字で見分けています。
出典
後撰集・秋中・302番
参考文献
吉海直人『読んで楽しむ百人一首』KADOKAWA(2017)
吉海直人 監修『こんなに面白かった「百人一首」』PHP文庫(2010)
井上宗雄『百人一首を楽しく読む 四版』笠間書院(2014)
有吉保 監修『知識ゼロからの百人一首入門』幻冬舎(2005)
馬場あき子『馬場あき子「百人一首」』NHK出版(2016)
上坂信男『新版 百人一首・耽美の空間』右文書院(2008)
小名木善行『ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」』彩雲出版(2015)
田中紀峰『虚構の歌人藤原定家』夏目書房新社(2015)