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奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
もみじと鹿の組み合わせで、どこか花札の絵を思い出す和歌です。
解釈の余地が複数あったり、作者が謎の人物だったりと、意外と癖が強めな和歌となっています。
目次
和歌の意味
奥深い山に紅葉を踏み分けて鳴く鹿の声を聞くときは、一層秋が悲しく感じられることよ
秋を象徴するような、物悲しい歌となっています。
ただでさえ物悲しい秋という季節に、鹿の声が合わさってさらに悲しい、という歌ですが、鹿の鳴き声ってあまり聞いたことないですね。
みなさんもあまり聞いたことはないと思うので、ここに載せておきます。
虫の鳴き声に紛れて、後ろの方から聞こえる高い鳴き声が鹿の声です。
遠くから聞こえている鳴き声になっているので、この和歌のイメージに割と近いのではないかと思います。
鹿の鳴き声って切実というか、必死さが伝わってきて悲しくなる鳴き声なんですね。
ことばの解説
続いて今回の和歌に出てくる、ことばの解説です。
紅葉
まず注目したいのは「紅葉」という言葉です。
現代で紅葉といえば、下の画像のような楓の葉が真っ先に思い浮かぶと思います。
ただし、ここでいう紅葉は楓はなく萩のことではないか、という説もあります。
ここの紅葉が楓ではなく萩とされる理由は、以下の通りです。
・出典元の古今集では秋上の部立に位置しており、一般的に秋下に配置される楓ででは時期が合わない
・万葉の時代から鹿と取り合わされるのは萩であり、萩は「鹿鳴草」とも呼ばれている
・もみじは「黄葉」とも書き、実際に菅原道真選の『新撰万葉集』では「黄葉」表記がされている。
出典元の古今集等を重視するなら、この歌の「もみじ」は黄葉している萩を指すと考えるのがよさそうです。
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逆に、鹿が悲しげな声で鳴くのは晩秋であるということから、やはり楓ではないか、という説もあります。
ちなみに、上の画像からもわかるように萩は楓と違い、足元近くに咲く花です。
そのため、この歌の「もみじ」を楓と考えるか萩と考えるかで、鹿がもみじを踏み分けるイメージが大きく変わります。
皆さんは、どちらのイメージがお好きでしょうか?
鹿
次に紹介する単語は「鹿」という単語です。
この時代メスの鹿は「めか」と呼ばれていたので、「しか」と書かれていた場合はオスの鹿を意味します。
歌の意味からしても、ここで詠まれている鹿がオスであることは明らかですね。
・・・歌に使われている言葉自体はそこまで難しいものではないので、ちょっとした豆知識の紹介みたいになりました。
ちなみに、百人一首の中で「鹿」が使われている歌には、以下のものがあります。
世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
文法解説
続いて、この和歌に使われている文法の解説です。
この和歌は特に難しい文法もないので、今回紹介する文法は一つになります。
この和歌で重要な文法項目は、係り結びの法則と呼ばれるものです。
係り結びとは、ある特定の助詞(係助詞)が文中で使われているとき、対応する文末の活用が連体形、もしくは已然形に変形することをいいます。
今回の和歌では四句目の「ぞ」が係助詞、その影響を受けて形容詞「悲し」が「悲しき」という連体形に活用しています。
ここの係助詞「ぞ」は強調の意味があり、現代語訳するときは特に訳さなくてもいい、というのが一般的です。
係り結びは他の和歌にもよく使われていて、同じ「ぞ」が使われている和歌だけでも以下のものがあります。
わが庵はみやこのたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり
作者
作者は猿丸大夫です。
三十六歌撰にも選ばれているので、和歌の名手らしいということは分かっています。
ただ、それ以外はほとんど情報がなく、詳しい経歴やどんな人物だったか、そもそも実在していたかどうかすらも謎な人物みたいです。
ちなみに大夫は、「たいふ」や「だいふ」もしくは「だゆう」と読みます。
鑑賞
続いて、この和歌をもっとよく知るためのポイントについての解説です。
鑑賞1.もみじを踏み分けたのは人か鹿か
鑑賞のポイント一つ目は、紅葉を踏み分けたのは人か、鹿か、という点にあります。
当時の人たちは、もみじを踏み分けたのは、作者である人である、と解していたようです。
しかし現在では、もみじを踏み分けたのは鹿である、とする説の方が一般的になっています。
確かに、鹿がもみじを踏み分けていた方が、「メスを求めて鳴く鹿の声と秋の悲しさ」という、この和歌の現代の解釈に近い気がしますね。
鑑賞2.作者不明の名歌
この和歌は猿丸大夫の歌として百人一首に紹介されているわけですが、出典元の古今和歌集では作者が不明となっています。
作者不明の和歌が猿丸大夫の歌として百人一首に入っているのは、一応、後世で猿丸大夫の私家集である『猿丸大夫集』にこの和歌が入っていたためです。
もちろん選者の定家がこの事実を知らなかったとは考えにくく、多少無理やりにでもこの和歌を百人一首に入れたかったのではないか、という推測が立てられます。
百人一首に収められている和歌で、歌番号が若い万葉時代に読まれた(と定家が解釈した)歌については本当の作者ではない歌が多く見られます。
たとえば、以下に挙げるものについても、作者が別人である可能性が高い和歌として知られています。
競技かるたにおける「おく」
競技かるたにおいては、この和歌は「おく」まで聞けば取ることができます。
百人一首で「お」から始まる歌は全部で7首。
特に26番の「おぐ」が競技かるたの中では一番似ている札になるでしょうか。
意味的にも秋の歌で紅葉がかかわってくるなど、音、イメージともに似た者同士の歌といえます。
ただ、下の句がどちらもビジュアルに特徴がある(「おく」には「ゑ」の文字、「おぐ」には「みゆき」の文字がそれぞれ特徴的)ので、あまり覚えるのに苦労する札ではないですね。
他に「お」から始まる札としては、「おぐ」も含めて以下のようなものがあります。
小倉山峰のもみじば心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ
出典
古今集・秋上・215
参考文献
吉海直人『読んで楽しむ百人一首』KADOKAWA(2017)
吉海直人 監修『こんなに面白かった「百人一首」』PHP文庫(2010)
井上宗雄『百人一首を楽しく読む 四版』笠間書院(2014)
有吉保 監修『知識ゼロからの百人一首入門』幻冬舎(2005)
馬場あき子『馬場あき子「百人一首」』NHK出版(2016)
上坂信男『新版 百人一首・耽美の空間』右文書院(2008)
小名木善行『ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」』彩雲出版(2015)
田中紀峰『虚構の歌人藤原定家』夏目書房新社(2015)